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ウマBlog 異次元の逃亡者 サイレンススズカ
皆さんこんにちは(*゚∀゚)ウマナミです
今週もよろしくお願いします♪
さて、早速ですが第2回目の競走馬は
アニメ ウマ娘プリティーダービー 第一期、もうひとりの主人公
異次元の逃亡者
サイレンススズカ
スタートから圧倒的なスピードで影も踏ませない大逃げでターフを沸かせた最強馬候補の一頭。
血統と主な勝鞍がこちら
父:サンデーサイレンス
母:ワキア (母父:ミスワキ)
主な勝鞍(重賞)
宝塚記念(G1)
中山記念(G2)
金鯱賞(G2)
毎日王冠(G2)
小倉大賞典(G3)
父は前回のスペシャルウィークと同じく説明不要の大種牡馬サンデーサイレンス。
母父ミスワキはミスタープロスペクター直系で世界各国の活躍馬を輩出。
※ミスタープロスペクター系からはキングカメハメハやエルコンドルパサー、アーモンドアイなどの怪物がたびたび出現。この話もまたいつか…
さて、そんなサイレンススズカですがG1レース勝利は宝塚記念のみの1勝にもかかわらず、いまだに最強馬候補の1頭として名前が挙がるのは何故か?
また、サイレンススズカが誕生するきっかけになった『ある偶然』とは?
そして、無敗の外国産馬の挑戦状と、あの天皇賞秋…
天才 武豊いわく『何もさせない走り』であっという間に駆け抜けた最速の機能美ことサイレンススズカとは。
それではどうぞ
1993年の春、サイレンススズカの母ワキアは社台ファームに種付けへ。
配合する予定の種牡馬は当時、ウイニングチケットやベガなど活躍馬を初年度から輩出していたトニービン。
しかし、いざ種付けというところで何らかの手違いがあった為か、当日のトニービンの種付け予定が埋まっており希望していたトニービンとは種付けができない事に。
そんな中、社台ファームのほうから『サンデーサイレンスなら今すぐできます』という提案が。
当時サンデーサイレンスの産駒はデビュー前で種牡馬としての能力は未知数でしたが、発情期も終わりに近付いていたことからサンデーサイレンスを配合することになったそうです。
そしてそんな偶然が重なり産まれたのが、小柄で人懐っこく、綺麗な栗毛の快速馬サイレンススズカ。
さて、そんなサイレンススズカはデビュー前から話題になるほどの調教タイムを叩き出し、デビュー戦を7馬身差で圧勝するなど、翌年のクラシック戦線はこの馬が中心になるとまで言われていました。
しかし、デビュー戦後に軽い怪我をしたことで休養を余儀なくされ、クラシック初戦『皐月賞』の出走権を取るべく、デビュー二戦目にして皐月賞トライアルの重賞『弥生賞(G2)』へ出走することになるのですが・・・
なんと出走直前にゲートを潜ってしまい大外枠からのスタートに。更にスタートで10馬身ほどの出遅れで万事休す。8着となり皐月賞への出走は叶いませんでした。
余談ですが、ゲートをくぐり抜けた理由はゲートまで連れてきた厩務員さんがゲートイン後にゲート下からゲートを離れた為、人懐っこいスズカがそれを追いかけてきたからだと言われています。
そんなサイレンススズカですが、弥生賞の一件などもあったようにデビュー後すぐに最強馬だと言われていたわけではなく、四歳(現三歳)クラシックでは唯一出走したダービーでも9着と苦汁をなめることになります。
そんな中、一人の天才ジョッキーと出会うことに。
天才 武豊。
初コンビを組んだ香港国際カップでは5着に敗れたものの、サイレンススズカの天武の才を感じた武豊ジョッキーは、次戦以降も騎乗させて欲しいとコンビ続行を熱望。
この出会いがサイレンススズカを覚醒させることになります。
競走馬の理想の走りとは『最速のスタートを決めて、並ばれないくらいに大逃げし、最短コースでレースを進め、最後の直線でも後続と同等のタイムで走る』と言われていましたが、あくまでも理想であり、空想の世界でしか存在しない走り方だとされていましたが…
五歳(現四歳)になり天才の手綱が空想でしかなかった『何もさせない走り』を現実のものにしつつありました。
両馬の背中を知る武豊ジョッキーにして『ディープインパクトに勝てるとしたらこの馬』だと言わしめており、ウマナミも1800~2200mの距離であれば、この頃のスズカに勝てる競走馬は存在しないんじゃないかと今でも思っています。
それを証明するかのようにその後のG1レース宝塚記念を勝利、そして秋の最大目標、天皇賞秋の前哨戦『毎日王冠(G2)』で二頭の無敗馬からの挑戦を受けることに…
後に世界最高峰のレース凱旋門賞で勝ちに等しい2着となり日本歴代最高の評価を受けることとなる、
五戦五勝 無敗の怪鳥
エルコンドルパサー
もう一頭が後にグランプリ(宝塚記念・有馬記念)3連覇、マルゼンスキーの再来と言われた
四戦四勝 無敗の未知なる怪物
グラスワンダー
当時、外国産馬にはクラシックや天皇賞への出走が認められていなかった事もあり、外国産馬二頭がまさにスズカへ挑戦状を叩きつけた格好。
特にエルコンドルパサーに関しては今でも歴代最強馬論争に必ず名前が並ぶほどの怪物です。
そんな二頭の挑戦を受けた毎日王冠は最初で最後の名勝負として語り継がれるレースになります。
結果はサイレンススズカがまさに『影をも踏ませぬ』完勝。
実はこの時、スズカの体調は万全ではなかった上に、ライバル二頭とは斤量差が最大4kgあったというから恐ろしい…
そして現役最強の声が高まる中、最大目標でもあった秋の天皇賞へ出走することに。
第118回 天皇賞 秋 東京競馬場 芝コース 2000m
11月1日 東京11レース 1枠1番 1番人気
嘘のような本当の話レベルでサイレンススズカに1が並んだこの日、ほとんどのファンがこれに『1着』が追加されると信じて疑わなかった日曜日
いつものように圧倒的なスピードで後続を突き放すスズカの姿に大歓声が沸き起こる東京競馬場。
どれだけ差をつけるのか、どんなレコードタイムを叩き出すのか。
そんな期待で埋め尽くされていた大観衆。
しかし
※閲覧注意(故障シーン有り)
東京競馬場名物、大ケヤキの向こう側で足を引きずりながら失速するスズカの姿に歓声が悲鳴へ…
そしてスズカの勝利により大歓声に包まれるはずだった日曜日は静まり返り、まさに沈黙の日曜日へ
結果は左前脚の手根骨粉砕骨折。ファンの祈りも虚しく、安楽死処分となってしまう結果に・・・
※ガラスの脚と形容されるほどサラブレッドの足は脆く、体重の重い競走馬が脚を故障すると他の脚への負担が大きくなる為、あまりにも酷い怪我の場合はこのような結果になってしまうことがあります。
本当はスズカについて書くかどうか迷いました。
どうしても最後は暗い話しになってしまいますからね。
ただ、レース中に怪我をしたスズカは1000mを57秒というスピードで走っていたわけで、そんなスピードで粉砕骨折という大怪我をしたのですから転倒してもおかしくなかった。
でも、人懐っこいスズカは武豊ジョッキーが落馬して後続馬に踏まれたりしないように安全な位置まで必死に移動したのではないかと言われています。
事実、武豊ジョッキーは『僕を守ってくれたのかなと思います。』と後日談。
翌年、グラスワンダーが制することとなる宝塚記念にて、実況の杉本清アナウンサーは
「今年もまた、あなたの、わたしの夢が走ります。あなたの夢はスペシャルウィークかグラスワンダーか。わたしの夢はサイレンススズカです。夢かなわぬとはいえ、もう一度この舞台で、ダービー馬やグランプリホースと走ってほしかった」と。
競馬にタラレバは禁物とはいえ、もしもサイレンススズカが種牡馬になっていたらどんな産駒が産まれていたのだろう…
そんな事を考えながら今日も酒を呑むウマナミなのでした。
思い入れのある競走馬ということもありかなり長くなってしまいましたが、最後までお付き合い頂きましてありがとうございました(;´∀`)
競馬って良き。
でわ
最後に前回のせわすれたスペちゃんのCMをどうぞ
武豊ジョッキーの勝利者インタビューにて『スズカが背中を押してくれた』
泣ける…
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